備忘録。作品見た人にしかわからないような書き方です。

o 20210803(tue)

ら定例稽古2日目。
定例稽古とか定期練習とか、何かわくわくする呼び名が欲しいけれど特に思いつかず。
といっても一週間も経ってしまったのだけど、それはこれを書くのにhtmlに直打ちしているためPCに向かわないといけないので、その時間がないと書かない(書けない)。
初回の稽古からこのやり方で合ってるのかどうか考えながら過ごして、もう少し付け加えながら解説。
教える、というか導くの苦手だなぁと感じている。知ってはいたものの。
あ〜〜やっぱりやだな〜教えたくないよ〜全然姉御肌じゃないよ〜もっとふらふら自分ベースにやりたいよ〜と昔の自分もちらちら顔を見せつつ、今年は人としっかり関わるという気持ちを持ち、諦めないようにする。
自分が20代前半の時ってどんなだったけと思い返すと、表現とかコンセプトとかうんぬん以前にひたすら踊っていたので、すごく鍛えられたその環境はすごくありがたかった。
なんていうか、踊りで突き抜けたい、突き抜けて欲しい。それ以外にあまり興味ないのかもしれない。
この前、フィッシュマンズの映画を観に行った。
わたしはサトちゃんが死んでしまってからフィッシュマンズに出会ったのでどういう人か知らなかったけれど、音楽に対して鬼のように厳しい人だったと映画で言っていて、とても安心した。
そのものを好きな人の方が信用できる。

o 20210706(tue)

lal banshees定期練習初回。
定期ではないが、公演前数ヶ月だけ集めてやることが無理と思ったのでゆったりと始める。
型を教えるというよりかは細かい身体の使い方、気の仕方を共有する。
これは遠回りでは、、、?とも思うけれど、コピーを作りたいわけでは全くないし、その人はその人のままいてほしい(今のままいてほしいと言う意味ではない)。

自分の手の内を明かしているようで恥ずかしい気もしたけれど、全然説明足りない感じと、こんなに話しても伝わらないのではという感じ。
長い年月踊ってきてわかった感覚とかをもうね言っちゃってます。
こういうのを言わなくてもできる人が感覚がいいとか器用と言うのだろうか(自分は器用ではなかったなと思う)。
感覚ともテクニックとも言い難い、ただただシンプルなことがこんなに難しいし、あまり重要とされていないのは何故なのかなぁ。
結局、ずっとわたしは限りなく自由に踊りたかったのだと思う。
自由自在に身体が動くために必要なことをずっと考えていた気がする。
あんだけがちがちに振りを決めていてどこが自由なんだと言われそうだけど。そうではなく。

ゆったり始めたと書いたけれど、来たその時だけでできるようなことは全くやっていないし、各々やってみてねというパスをたくさんした。そしてこれが続いてくのだと思うのだけど、ダンサー勢からパスが戻ってきてくれるかどうか。たくさん返してくれる人たちではあると勝手に思っているけど、まだ全然知らないからわからない。

こういう仲間内にクローズドな感じで考えていることとか雑談レベルの共有したいことってみんなどうしているのだろう。
稽古終わりに飲みに行けないって稽古半分くらいしかしてないような気持ちになりませんか。

今日の反省、フィードバックの時間とる。

夜、9月に一緒にやる方と初回ミーティング。
最近気になることを聞かれたので、正直に女とか男とか言いたくないのになんたらかんたら(ここは長くなるので省略)の話をした。
その話とは関係ないけれど、このような状況になって人との関わり方をすごく考えるようになったと言っていて、わたしも同じことを思っていた。

こういう考えていることとか感じていることをSNSではなくてどうやって共有していたっけ。と悩むのは、それまでそういうこと疎かだったのだろうし、きっと用意してもらっていたのだろうな。
でもそういうのってお茶しに行くかご飯食べに行くか飲み行くかそこらへんでだべっている時だったから、今の時代の子たちはそういうのそうしてるのでしょうか。
みんな忙しそうです。

o 20210402(fri)

20分くらいの短い作品で、少人数で、HIOHOP作品を。
というオーダーを言われたところから始まった。
HIPHOP作品というのはさておき(HIPHOPではない。コンテンポラリーダンスとも思っていないが。別に、ダンスってだけで良くない?良い加減。と思ってる。ダンスでなくても良いのだけど、わたしの場合はダンスが良い。)
今回横山のことを知らないダンサーたちとクリエーションするということで、今までは自分のカンパニー(lal banshees)ではわたしから声をかけて出演してもらっていたダンサーがほとんどだったせいか、少し言えばあとは感じ取ってくれていたことを、今回はかなり伝えないといけないということに序盤で気づいた。
気づいたと言っても、何をどの程度どう伝えるべきかすぐにわからなかった。
というのも目に見えてはっきりとわかっていることは言えるのだけど、感覚的なところだったり考え方のことだったりしたので、そもそも気の利いた言い方ができない。

ちょうど同時期に自分のカンパニーの方の再演のクリエーションがあり、それも相まって強く感じたこと。
「は〜わたしって作品を作っていく上で、今まで人間に興味なかったんだな〜。」ということ。
かなり語弊がある言い方ではあるけれど、肉体的にはおもろいと思っていた。
こう動くとおもろい。感情は現象として。
感情感情いうけど、感情以外のことだってあるのに、なんで全部感情にしなきゃいけないんだ。と思っていた。
このシーンで、この作品で、ダンサーがどう思っているかなんて考えていなかった。
そういう話がゼロだったわけではなく、終わってから聞いたりたまに話したりはしていたけど。
こういう気持ちでやって欲しいというのもない。何も考えたり感じないで欲しいというわけではなく、むしろ真逆で、ただ、演技はしないで欲しい、なので笑ってもいいしムッとしていてもいい。声を出したくなったら出しても良い。
ただなんでもいいわけではなくて、動きの表情が決まっていてそれは徹底的に詰めていく。
あとは、もう、その時を感じて立って欲しい。何も飾らず。
どういうことを考え、どういうことを感じているのだろうと思ってはいるものの、ダンスを作る上でそこを聞いても汲み取りきれないと思ってた。
むしろ意味のないなんでもないものから意味を出したり、何かあるように醸し出すのはダンサーの仕事と思う。
99%振付られているところから、残りの1%でどこまでもかけ離れることができる。
みんながみんなできることではない。
でも、だからダンサーというのではないか。そうであって欲しい。
そこをすっ飛ばしてやる方法はいくらでもあるけれど、そこを諦めたくないと思っている。
だから汲み取って形にするのではなく、全然関係ないもので、ただ滲み出るように(全てのダンサーを滲み出るように引き上げることをできてきたかというと別問題ではある。優秀な指導者じゃないので...演出家ならできるのかな)。

ともかく何か大きな理由があったわけではないけれど、別件で11月くらいから人と久しぶりに会うようになり、久しぶりに人と踊り、今までと意識が全然違うように感じた。
自分でもまだよくわかっていないけれど、人と関わって、人の話を聞きたい。

そんな心情の変化もあったり、なかったりしながら、そんなにいきなり人間変われないのでただただどう伝えるべきか〜〜〜と思いながら稽古は進んでいった。
物理的な理由でいつもとちょっと違うのは、その人を見ながらほぼ当て振りで作っていくところを、これやったらどうなる?みたいな実験をいつもより多めにやったクリエーションだった。

響の方々と関わることになる前に、車椅子に乗って生活する男の子と出会い、その子がどういうように生活しているか、生活のたった一片だけど見る機会があった。
ただ、今の社会は2本足で立って、目が見えて、耳が聞こえて、声が出て、手が指が動く人間が多くて(多いように見えて)、自分もそうで、たまたまマジョリティだった。
マジョリティに合わせた街ってだけ。
すごい長い年月をかけてマイノリティがマジョリティに合わせてもらってる社会が出来上がってる。
それが逆だったら、どうだったのだろう。
そんな妄想をしていた。

最後に、ダンサーが頑張っててすごかった、みたいな見え方だけになってしまっていたらわたしの作り方が悪かったと思う。
頑張っていてすごい、えらい、同じように、リズムが、構成が、細かい振付を、すごい。
本当にそうなのだろうか。
全ての人の感想を聞いているわけではないから知らないけど。

わたしたちはちゃんと見ようとしてるのだろうか。
嘘とか本当とかどうでもよくて、ただ目の前にある実体を。
こんなに違うじゃん(違わないじゃん)、ちゃんと見ようとしてる?、何も知らないだろ(わたしも)、想像してる?
これからも、わたしも考えていくことになるのだろうな。

一緒にできた、3人のダンサーに感謝します。

Integrated Dance Company響-kyo『逆さまの三月』
2021.3.27(sat)-28(sun)
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京)
振付・演出|横山彰乃
出演|中西涼花 泉葉子 菅谷有紗

o 212103

2020年の振り返りすらできていないのだけど、とにかく書き残す。今年は。
と思っていたものの、どこに書き残そうか迷っていたら出遅れた。
個人的なブログではなくて、もう少し人目を意識したところに残したかった(まぁ残さなくても良いのりけつすかもしれない)。取り止めもなくなるのが目に見えている。


「海底に雪」は2019年の初演からダンサーを入れ替え、城崎国際アートセンターでのレジデンスリクリエーションを経て京都で33min ver.として上演した。

初演時は横山ソロとトリオ作品の二部作で、わたしはトリオには出演していなかった。
京都での再演が決まり、2020年の11月にライブの仕事で出会ったスーパーウルトラユースしおんちゃんをナンパ。
1回しか現場一緒になったことのないよくわからない大人に(しかも歳は12個も違うのに)
急に城崎に2週間近く連れて行かれて、いきなり振りを起こしてこさせて、気の毒だった。
何をどう伝えるか、最後まで難しかった。
それはちょうど2020年の12月から少しずつ始めていた響という外部カンパニーの振付委託を受けて制作していたため、初めましてのダンサーずにも伝えるのが難しかったように、短い期間で共有する必要性。

ゆうちゃんは、実はlal banshees本公演は全部出てもらっている。
改変再演(トヨタ、愛知)には出ていないので、一緒に地方行くのと長期滞在は初めてで不思議な感じだった。
ゆうちゃんのこと、あんまり知らないけと知ってる。生活の仕方も知らなかったけど知ってたみたいな感じ。
稽古以外(らばんば稽古はプライベート話を、する余地がゼロ)
何度か飲みに行ったりはしているもののゆっくりプライベートの話をゆっくりしたのも初めてかもしれない。
ゆうちゃんも2019の初演以降きっと、いろんなことを思ったのだろうな、というのが見ててすごく感じ取れた。
人と関わるのが久しぶり過ぎたおかげか、そういうところが以前と感じ方が違った。
これは慣れてしまうのかもしれない。

今までだったら、直感以外の部分をあ〜どうしようか〜あああ〜と割とずるずると悩むことがするすると決まっていく。
というか、単純に腹を括れていなかっただけなのではと2020以前を思った。

時間の規定が緩く、1秒でもオーバーしたら失格みたいなことがなかったのもあり、あとは何回も言うけれど2020年を経たことから、ゆったりとした気持ちでリクリエーションできたように思う。

横山自身も入ったことで見えてきたことや皮膚感覚で感じたこと、1年間自分が出演する本番がなかったことや、久しぶりに人と踊ったことなど、そういったことが関係したのかしていないのかは正直わからない。
それでも今までと気づくことが明らかに違っていて、というより今まで100倍率で見てた顕微鏡が1000倍率で見えるようになったような、顕微鏡のレンズ幅が広がったような、そんな感覚になった。
これも慣れていってしまうのかもしれない。

公演後のディスカッションで、話しながら考えていたけれど、たぶん本当に今まで人間に興味が薄かった。
ということを今回自分が入ってみて、感じて、言葉にはならないが直したいところが山のようにあることに気づいた。
決めずに試してみる、だってやったことないからわからないもん、ということが今までは何故かできなかったけれど、今回はたくさんやらせてもらった。

城崎でのレジデンスクリエーションのおかげもあると思う。
毎日人と会いたくないと思うこともあるけれど、今回はたぶんちょうどいい期間でちょうどいい人数で、たぶん二人の人間性のおかげで、平気だった。
人の多い電車に乗り、一人になることのない帰り道を歩き、家のことをして、もやもやしたときはそのまま眠る。
慣れていたつもりだったけれど、そういった日常から離れて集中して取り組める環境は至高でした。
朝起きてから数秒でスタジオに行ける。
基礎トレーニングも作品稽古もどちらもできる。毎日温泉に入り、八百屋さんで適当に買った野菜すら美味しい。
わたしは先に一人で入っていたので、だいぶ長く滞在したように感じる。
他の滞在の方々が延期やキャンセルで貸し切りだったため、休館日のスタッフさんがいない日は流石にすこし怖かった。
街も、観光地特有の人のたくさん集まる要素はあるものの、人が全くおらず、灯りだけ灯ってまるで化かされたかのような気分だった。
ホールも贅沢に照明付きでクリエーションさせてもらい、全キューを指定できるくらい細かくやらせてもらえてかなり良い勉強になった。
うちうちでテクニカル付きの通しもお披露目できて、正確にはこれが1年ぶりの人前だった。
わたしは全キューを叫びながら踊ったので、別の意味で面白かった。なかなかこんな通しを観る機会もないのでは。

話が京都に戻り、
配信がある関係で楽曲許可がかなりひやひやしていたけれど(海外返信返ってくるか&今現在活動しているのか謎だった、みなさんわたしの拙い英語に関わらずめちゃくちゃレスポンス早く、優しく、感動した。
いいよ!使って!ていうかコラボしようよ!みたいなノリ(英語)で、今現在世界中がこういう状況だからなのかなとも思ったけれど、たぶんすごく運が良かった。そして本当に嬉しかった。
変に偉そうな人が一人もいなかった。

数日後、配信映像を見て、むむむ?と思うことが多く(お金を払ってみてくださった方が目にするところに書くべきではないのかもしれないけれど)、舞台作品を無理に配信する必要ってどうなのだろう。
配信するなら全然別物に作る必要があるなと感じた。前から感じていたけれど、無観客配信の配信に振り切っているのとは訳が違うので、思うことめちゃくちゃある。
今作は舞台作品、同一空間で見ることを前提にしていたので、余計にそう感じたのかもしれない。
配信は、うーん、舞台作品とは別に映像作品作る方がいいなと思ってる。
なまものはなまものとして食べたい。

一年ぶりの本番は、どうだったろう。
袖にスタンバイするのって、めっちゃ緊張するよね。毎度毎度、何に緊張しているのだろうか。
出た瞬間平気になる。二人が緊張してるのか?いつもと違うのがすぐわかった。
1年前は最後の最後まで緊張していた(死)のはソロだったからか、お豆腐メンタル。
本番の自分のことはあまり覚えていない。乾燥がやばかったことと、すごいタイミングで音が来たことだけ覚えている。

個人的には、この作品がこれからも深めていきたい、再演していきたい作品になった。
あと、今作でやりたいことがかなり膨らんだので、実現したい。
男バージョンとか、良い意味でのメンバーチェンジとか。
作ったり踊ったりしていくうえで、自分はダンサーで、ダンサーでないといけないと思った。雑な言い方だが。

コンペティションはたった1回で終わってしまうのが嫌だな。
確かに次の機会には繋がる可能性はあるのかもしれないけれど、やっている方としては期間が空いての次だと、また話が違ってくるので、コンペ内で2,3回踊りたいという意味ではなく、単純にこれだけ作り上げてきたものなので直近で何度か上演したい。
自分の運営の問題なのだけど。改善していきたい。

世界って、今特に強く感じるけれど、別に今こういう状況じゃなかったとしても、とても不確定で流動的なものなのだな。
2020年は言い方不謹慎かもしれないけれど、すごく特別でおもしろく、たくさんのことを気づかせてくれた1年だった。
愉快でにこにこ笑うような面白さではなく、不思議な時間だった。
(ダンサーあるまじきだけど)人前で踊りたい本番やりたい!と思うことは全然なかったけれど、いつもだったら感じ取れない角度に気付いたり考えた一年だった。

機会を作ってくれたJCDNのみなさん、短い時間の中で細かすぎるキュー数を実現してくれたテクニカルスタッフのみなさん、衣装の相談のってくれたまちちゃん、とんでもなく自由にのびのびとゆったりとリクリエーションさせてくれた吉田さんはじめKIACのみなさん、稽古場サポートしてくださった三上さん、いつも生きていくこと自体を助けてくれてくれている家族、観てくれた方々、足を運んでくれた方々、サポート兼死体役のほのかちゃん、そして、出演ダンサーのゆうちゃんSHIonちゃん。

生の舞台作品ってたくさんの人の時間を頂戴して、というか共存して成り立っていることが最大の魅力であり、とてつもないことなのだな。

慣れていってしまうかもしれない、この1年ちょっとで感じたこと考えたことを忘れたくない。

KYOTO CHOREOGRAPHY AWARD2020
2021.3.12 京都芸術センター
lal banshees「海底に雪」

振付・演出|横山彰乃
出演|後藤ゆう SHIon 横山彰乃
協力|斎木穂乃香 南香織(LICHT-ER)
レジデンス協力|城崎国際アートセンター(豊岡市)
楽曲提供|Father Murphy L'Enfant De La Forêt Aluphobia 冥丁